大切なのは”波長”コロナ禍の中、心地よく生きるとは のサウナコラム画像

サ活

2022.11.01

大切なのは”波長”コロナ禍の中、心地よく生きるとは

赤飯 (オメでたい頭でなにより)

サウナは生き物だなぁと思う。波長の合う合わないが明確にある。人付き合いと同じというか。例えば人なら、言葉の選び方、表情、間(リズム)、オーラ、雰囲気、笑いのツボetc。いろんな要素が有機的に混ざり合って、一個人の波長を構成している。有機的である以上、多少日によってバランスが変わることもある。それが外的要因なことも、内的要因なこともある。その揺れも含めて誰かと愛し愛される関係を築けている人たちはきっと、補って余りあるほどの波長のシンクロ率なのだろう。サウナと人の間にもそんな有機的な波長がある、そんな気がする。

このコロナ禍の中、心地よく生きるとはなんなのか、自身の幸せとはなんなのか、なんてことをクソ真面目に考えた。なんならそれを人と話してシェアする機会もあった。多分そんな話をしてた人とは少なからず波長が合っていたのだと思う。結局今に至るまでそれらの結論は出せていない。でも波長の合う合わないは間違いなく、頼れる指針の1つだ。コロナ禍でそう確信した。自分のその時のコンディションや、無意識にかかっているバイアスに注視しながらも、”あーこいつと(ここに)いるとき楽しい、落ち着く。こいつと(ここに)いる時の自分好き”みたいに湧き出てくる感覚には、とことん素直に、敏感でいたほうがいい。逆もまた然りで。先述の”揺れ”を明らかに超えてくるような違和感が少しでもあるなら、気をつけた方がいい。本能は嘘をつかない。

ぶっちゃけサウナに関しては大抵のことには目をつむれる。サウナ自体の温度が低かったり、水風呂がぬるかったりしても、穏便に済ませたい気持ちがはたらいて、”これでいいのだ”なんて思えてしまう節がある。施設が若干汚くても、年季が入っていて味がある、”これでいいのだ”と思えてしまう。しかし、しかしだ。あまりにも人気の施設だと、どのサウナも扉の前に裸の男たちが列をなしていて、全然好きなタイミングで入れなかったり。サ室内や外気浴スペースにて、集団で大声で話している人たちがいると、「あー今ここと波長が合わないんだな、しばらく来ないでおこう。あ、でも別の時間帯なら最高なのかもな…」なんていろいろ考えてしまう。もちろんサウナに罪はない。並ぶのが楽しい人もいるだろうし、なんならお喋りしながらのサウナがいい人もいるだろう。あくまで波長の問題なのだ。人と同じでサウナにもいろいろあるのだ。

しばらく会ってなくても再会したらすぐに前と同じノリで話せちゃう。ちょっとハメ外しても一緒に笑ってくれる。なにより言葉を越えた心地良さ、感動をすぐに共有できる。自分なりの波長が合うとはザックリ言うとそんな感じだ。6年ぐらいいろんなサウナとつるんでみて、結局大好きなサウナとはそんな関係に落ち着いた。…気がする。一方的な片思いもあるだろうけどそれは気にしないことにする。いつでもずっと一緒♡とかじゃなくてもいい。自分の人生の線上にふらっと交わってくれて、それが心地良いと思えるバランス感がちょうどいいのだ。波長の合う合わないは常に流動的でゆらゆらするものなのだ。だからほどよく自然に身を任せて、流されるときは流されて。あとはもう抗わずに納得する。”これでいいのだ”。と

なんてことをサウナに入りながら考えていました。今日のサウナとは波長ビンビンぽいです。

オメでたい頭でなにより 赤飯

サ活

赤飯 (オメでたい頭でなにより) の画像

赤飯 (オメでたい頭でなにより)

オメでたい頭でなにより コロナナモレモモ 赤ピコ☺︎𖠚
˗ˏサウナ 謎解き レトロ ホラー映画 dbd 好ˊ˗
https://instabio.cc/31019107KTJZy

サ活に関するコラム

公式Twitter▶▶ サウナーチTwitter